2025年4月
何度も聞き飽きた音が私の夢を途絶えさせた。
窓ガラスから差し込む温かさの中にほんの少しの清冽さを帯びた日の光が私の瞼に当たり、冷たく冷酷な空気が布団の中でうずくまる身体と頭を分かつ。一日の始まりという素晴らしい時間にも関わらず、こんな時間が私は嫌いだ。
あぁ、今日が始まる。
カタツムリのように布団の中を秒速1㎜の速度で体を横にふるわせ、一晩中温めた小さな領域を少しずつ伝播させる。その様子はさながらローマ帝国が地中海全域に領土を広げるように早く強靭なものである。そのなかで、私はいまだに暗闇に遺るために瞼を閉じ、陽が隠れるあの時間と同じように頭を大きな羽毛布団の中にしまい、脳を錯覚させる。
ついに温もりで支配された布のなかで、うずくまっていた体が自らの海を手に入れたように、泳ぎ始める。しかし、まだ早いまだ早いと頭だけがしきりに思考する。
カチッ カチッ カチッ カチッ カチッ
掛け時計の無言の圧力と布団にかかる温かくも鋭さのある日の光がこちらを押しぶそうとする。
私は見えない監視者たちに耐えかねて、一生に一度の勇気を振り絞り右手を少しだけ出してみる。その右手は、昨日という殻を抜け出し今日の輪郭をなぞる。昨日に包まれた私の体は改めて認識する。もう外界のすべては今日に変化し、もう昨日は私の右手以外の身体だけしか残っていないことを。そして、こちら側はもうあちら側にはなりえないことを知った。
昨日と今日が揺らぐ境界は、深海や遠く離れた宇宙のように遠く深く強い青色に染められ、あちら側はもう地獄の深淵であると私は信じていた。そんなこととは裏腹に、右手の指先が今まで拒んでいたあちら側を受け入れ始めた。まるで待っていたのかのように。まるで拒んでいたこちら側が受け入れる準備をしていたのかのように。
今その手を殻に引き戻したら今日は昨日になるのであろうか。
できることなら、昨日に生きていたい。そう思い、私は右手を引き戻す。はぁ、私はまだ昨日を生きることができる。なんてすばらしいことなのだろうか。
「うるさい!」
その一言で、私は一気に今日に連れ戻された。
どうやら、アラームが鳴り続けていたらしく、その音がうるさかったらしい。毎日決まった時間になるこの時報は私にとっては、洋食レストランに流れるクラシック音楽のようにただただ当たり前になっていたようだ。私にとっては、死の谷、ダーウィンの海のような深い境界は、卵のように外からの衝撃にはひどく弱いことを知った。
ああ、今日が始まる
今日はどんな今日になるのだろうか。
日日是好日。
この言葉は、禅語のひとつであり、言葉通り「毎日が素晴らしい」という意味なのである。
暗闇をさまよう迷子の僕。
今日はどうなるのだろうか。


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